大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

笠岡簡易裁判所 昭和40年(ろ)11号 判決 1966年2月17日

被告人 谷ユナミ

主文

被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処する。

この罰金を完納することができないときは、金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。但しこの裁判確定の日から、一年間右刑の執行を猶予する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和四〇年四月二日午前一一時ころ、笠岡市神島外浦地内水落部落の通称ひびそ谷所在の自己所有芋畑において、枯草を集めて焼却しようとしたが、同所は周囲が山林或は畦に接した窪地で枯れた雑草、笹等の茂みに接近し、畑の中にも集めた枯草が点在している上に、当時は異常乾燥状態で風速六米位の南西の風が吹きつけていたので、このような場合は、焚火が強風に煽られて、附近に延焼する危険があるので、焼却を一時断念するか、或は完全な防火線を造る等によつて、延焼の防止措置を講じた上で、焼却を始める等、出火の危険を未然に防止すべき注意義務があるのに、これらを怠り漫然と点火して枯草の焼却を始めた過失により、折りから吹きつけた強風に煽られ、同畑西隅に集めた枯草等に飛火して、附近山林に延焼出火し、因つて別紙記載のとおり、他人の森林を焼燬したものである。

なお、被告人は上記芋畑の中央部寄りと、周辺部との二個所において、前記枯草に点火焚火をなし、その火をいずれも上記過失により延焼させたものである。

(証拠の標目)<省略>

さて、思うに、放火ないし失火の罪は(刑法上も、特別法たる森林法上も)、いうまでもなく、法理上いわゆる公共危険罪に属し、(故に講学上抽象的或は具体的=とくに構成要件とされるもの=各危険罪と称せられる)、従つて本件犯罪は、抽象的ないし観念的な公共危険罪と解せられ、主たる被害法益は、公衆の生命・身体・財産が包括的な保護法益だから、単一行為で、同種の罪責により、数個の客体を焼燬しても、単純一罪というべく(大判大正一二・一一・一五参照)、一個の行為で、異種の罪責により、数個の客体を焼燬すれば、包括一罪として、重い焼燬罪の一罪に吸収され(大判昭和九・一一・二四参照)るか、あるいは、包括一罪ではなくて、刑法第五四条第一項前段所定のいわゆる観念的競合として、重い罪で処罰すべきである(大判大正一二・八・二一参照)、というのが、判例の通則とされている。

ところで、本件証拠を検討すると、証人藤原清治の当公判廷でした供述並びに同人(司法警察員)作成に係る実況見分調書の記載に徴すれば、本件発火地点は二個所あることが明らかで、少くとも被告人の失火行為はこの二地点で、各別になされたことが、明確に肯認できるのである。

そうすると、本件失火行為はもとより単一行為ではなく、このように各別に行われた失火行為により、生じた森林失火罪は、法理上当然に上述の公共的法益と、同時に半面では個人の財産的法益をも侵害する行為にほかならないのであるから、純理上はその犯罪個数は単一でなくて、数個だといわなければならない(大判大正七・三・一三参照)。

しかしながら、これらの二個の行為は時と所を殆んど同じくしている限り、物理的には必ずしも身体的の一挙一動であることを要しないのであるから、刑法第五四条第一項前段の『一個の行為』に該当するものと、解するのが相当である

そこで、本件を科刑上の一罪、すなわちいわゆる観念的競合として把握認定し、該当の法条を適用した次第である(後記「法令適用」の項参照)。

((もつとも、かかる科刑上の一罪とは、上述のように本来は数罪であるものを、科刑上一罪として一括処断するものであつて(最判昭和二三・五・二九参照)、これを本来の一罪とみる説は、当裁判所の左袒しないところである。だから、本件のように同種類の観念的競合は、これを果して観念的競合の一種と認めるべきか否かが、学説上は争われているが、判例はこれを認めている(大判大正六・一一・九参照)。けれども、仔細にこれを考察すれば、実質的には単純一罪とみることと、科刑上において殆んど何ら相違はないが、ただ形式的には考え得ることであるし、このように認めるのが論理に一貫性があり、正鵠である。それで、これを否定する学説は、包括一罪とみるわけで、もとより当裁判所の採用しない見解である。))

(被告人らの弁疏に関する判断)<省略>

(情状について)

しかしながら、本件火災現場は、その地理的境位は、小連峰群により構成される瀬戸内海上の島岐における森林であり、全く防火施設に乏しく、かつ消火作業においても多大の困難な事情のあることが、容易に窺知でき、したがつて本件のような巨額の被害を生ぜしめたのも、この島の地勢地形状況の特異性に基づくものであることが、推知できるのである。

ところで、被告人は既に高令な独身女性であり、年令・素行・性質・教養・境遇・資産などについてみれば、何ら悪性の認むべきものはなく、かつその生活は洵に恵み尠く、とくに犯行時は孤独自活の生計を営み、苦悩薄幸であつたことが明らかであり、かつ本件犯行に対する事後の心事については、その表現は稚拙だが言外の挙措態度からも、改悛の情が至極顕著であつて、弁償能力は全然なく、被害額は八〇四万円に垂んとする多額であるけれど、国有林はしばらくおいても、その大部分を占める私有林所有者の被害感情もまた比較的穏当であり、むしろ同情的であることが、肯認できる。

そうすると、本件犯罪の結果、影響及び危険性を十分考慮しても、罪質・負責能力とともに、これら上記の情状は無資力のため罰金が支払えず、老令のため労役場留置の執行緩和の必要上、宣告猶予・罰金刑の一部執行猶予のない現行刑罰制度のもとでは、刑罰の威嚇力に対する被告人の過当な感受性をも併せ斟酌し、主文のような寛典をもつて、これを遇することの妥当性を、自明ならしめるものといわなければならない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、森林法第二〇三条第一項、罰金等臨時措置法第二条に該当するところ、右は一個の過失行為により数個の法益侵害を及ぼした同種の観念的競合に当るから、刑法第五四条第一項前段、第一〇条に則り、犯情の重い被害者浜野正夫外九名の共有者に対する罪の刑により処断することとし、所定金額の範囲で、被告人を主文のような罰金刑に処し、換刑処分につき刑法第一八条を、上記情状により第二五条第一項を適用の上、右刑の執行を一年間猶予し、貧困のため納付できないことが明らかであるので、刑事訴訟法第一八一条第一項但書をも適用して、訴訟費用を被告人に負担させないこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 井上和夫)

別紙笠岡市神島外浦地内山林類焼一覧表<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例